『黒い雨の落とし文』 talk with 小川泰子

昨年は第二次世界大戦から70周年という節目でもあり、以前からのご縁で、広島にある「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会の会員数名のご証言を基に、海外国内のパフォーマーと共に、『黒い雨』というパフォーマンスを広島で行いました。
その時、直接お話を聞かせていただいたことで私がダイレクトに感じたことは、一つ。
「命の尊厳」でした。
私はこの言葉を、憲法でしか知らない。日常の中でこの言葉の意味など感じたことがありませんでした。
でも、確かに。ご証言していただいた方から私はそれを感じたのです。決して彼女が口にしたのではなく、私が「それ」を感じたのでした。

私は今、誰かを責めたり追い込みたくて、この証言をラジオで流すのではありません。
いかなる経験も今後に活かされますように。
この旅種ラジオのテーマ、「不安からの選択ではなく、YESのバイブレーション」に沿って放送します。

黒い雨2

『黒い雨の落とし文』

1945年8月9日、広島に落ちた原爆は、光・爆風、爆音、きのこ雲、そしてさっきまでそこここで存在していたあらゆるものを空へ巻き上げ、そして黒い雨となって地上に降り立った。
黒い雨は、「洗っても洗ってもとれない」と言いながら何度も洗うお母さんと白いワンピースの記憶となって、4歳の女の子の脳裏に染み付きました。

広島に落ちた原爆は、黒い雨が降った場所を大雨地域、小雨地域と二分化することで、その後の対応をすすめていくこととなりました。
でも被爆者の方は言います。雨の降り方に差はなく、その後の生活は、毎日不安だらけ。
雨量の地域線引きで、コミュニティまで断絶されたところもある。
戦争は、その時だけでなく本当に長く重く、その後の日常に影を落とし続けてきた。
2度と戦争はしてはいけない。
何度もそう思ってきたけれど、2011年の東日本大震災での原発事故で、それは戦争だけにあるのではないということを、また事故という形で思い知る。

「私たちの証言が、今後の福島での被害者の方々の参考にもなる。」
その思いも背負い、「黒い雨」原爆被害者の会の会員のお一人でもある小川さんが語ってくださった声を、ご本人に了承の上、何回かに分けて皆様にお届けします。

※現在、小川さんは肝炎から肝硬変へと進んだ病気が肝臓がんにならないように、昨年末より治療に専念しています。

黒い雨1

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